如何お過ごしですか? 3回連続10cmです。
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もう何も失う物はなく、かつ色に乾いた私がお送りする『私が選ぶBest5』。
私が好きなもの、嫌いなものなどありとあらゆるBest5を発表します。
本日は【第34弾】として『野球で印象に残っている○○打線』編で攻めてみたいと思います。
よく野球で攻撃でめった打ちしたときなんかアナウンサーが○○打線爆発だー!なんていいますよね。アレです。
Wikiにいろいろと○○打線が載っていたので、その中から私が印象に残っている○○打線を選んでみました。
次点:
1960年代中盤の大洋ホエールズの打線の愛称。
1960年の優勝以来、大洋は長距離打者の桑田武を軸に、長打の打てる選手を補強するなど打線の大型化に努めた。その成果が出た1964年はチーム打率が1位(.255)、本塁打(134)、得点(556)が2位と打線が好調で、その長打力から「メガトン打線」の愛称が付いた。
なんつってもメガトン、つまり1000トン。
相当な重量打線ってことなんでしょうね。
第5位:
1970年代中盤の中日ドラゴンズの打線の愛称。
別名「恐竜打線」。1996年までナゴヤ球場(改修前)を一軍ホームグラウンドにしていた時期の中日は、狭い球場を生かした打力が売り物のチームだった。
球場が狭かったんかーーい!
第4位:
阪神タイガースの強力打線の愛称。
タイガース打線の代名詞であり、日本初の打線ネーミングである。1946年、破壊力抜群のタイガース打線を形容して日刊スポーツの高山方明が命名し、1947年の優勝時に広まった。
藤村富美男や別当薫、土井垣武のクリーンナップを軸に、金田正泰や後藤次男ら好打者が並ぶ布陣だった。毎日オリオンズや大洋ホエールズなどによる選手の引き抜きにより、後に第一次と呼ばれるこのダイナマイト打線は1949年を最後に解散した。
その後、強力打線がタイガースで結成されるたびに用いられ、初の日本一に輝いた1985年を新ダイナマイト打線(第二次)、18年ぶりのセ・リーグ制覇を飾った2003年を第三次、チーム打率.290を誇った2010年を第四次という。
また、まだダイナマイト打線命名前の1930年代後半を第零次と呼ぶこともある。タイガースの打線は一般的に「猛虎打線」と呼ばれるが、「ダイナマイト打線」は打線が特に強力だった時期にのみ使われる。
『ダイナマイトはニトログリセリンを主剤とする爆薬の総称』ってくらいだから、芸術は、じゃなくて打線は爆発だー!なんだね。
危険すぎるくらい強力な打線をイメージしてんのかな。
第3位:
主に1997年から1999年の、横浜ベイスターズの打線の愛称。
1999年には当時の日本記録となるチーム打率.294を記録した。
なんたってマシンガンといえば『弾薬を自動的に装填しながら連続発射する銃』だからね。
連続発射ってとこがポイントだね。
第2位:
やまびこ打線
1980年代の徳島県立池田高校の打線の愛称。
監督の蔦は「芯を外れていても腕力が強ければ飛距離が伸びる」という、金属製バットの特性を生かすために、ひたすら部員の上半身を鍛え上げた。こうして、緻密なプレーはせずにとにかく打ちまくるという強打の「やまびこ打線」を生み出した。
緻密ねプレーはせずにってとこがウケるよね。
まあガッコの周りは山ばっかりだからやまびこみたいにどんどん続くイメージなんだろうね。
第1位:
栄えある第1位は
大阪近鉄バファローズの打線の愛称。
この名称は、近鉄選手が相手投手を打ち込んだ際に近鉄応援団が「いてまえ〜」と掛け声をしていたことに由来し、西本幸雄監督のもとでリーグ初優勝する1979年頃に、ファンの間で自然発生的したものである。
「いてまえ」=大阪弁で「やっちまえ!」の意味だって。
気持ちはわかるし、大阪らしいっちゃらしいよね。
編集後記
『野球で印象に残っている○○打線』はいかがでしたか?
楽しんでいただけましたでしょうか?
みなさんはどの打線お好みですか?
推定180メートル弾をぶっ放すカブレラ。
戦慄すら覚える衝撃弾! プロ野球史上「最も飛んだホームラン」を放ったのは? (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)