おっさんのblogというブログ。

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運動会で子供たちは被写体になることを本当に望んでいるのだろうか。

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如何お過ごしですか? 3回連続10cmです。

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10月後半、秋真っ盛り。

学校行事と言えば遠足や運動会ですよねー。

昨日(10月24日)、私も孫の運動会に行ってきました。

 

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遠足も運動会も今年は日本中が縮小気味ですが、それでも最終学年の子供たちのためにも(当然在校生のためにも)学校関係者さまも色々手を尽くして実施されているようです。

今日はその秋の大イベントである運動会にスポットを当てて、自論を書いてみたいと思います。

まぁいつも通りのアレですけどね(笑)

 

注)ここに書いていることは私の自論です。

 

 

 

 

運動会。

私はもう60を超えており、長女(30後半)・次女(30前半)・孫(小3)がおります。

運動会も自分の幼稚園の頃から数えると、演技する方・観る方合わせるともう何回参加したでしょう。

まぁ自分が子供の頃のことは半世紀も前なので置いておきますが、

長女・次女・孫の運動会だけでも何十回と参加して、(自分の子孫だけでなく)相当数の子供たちの演技も何十・何百と観てきました。

 

みなさんはご自身が演技者として参加された運動会ってどんな思い出がありますか?

 

 

被写体。

まぁタイトルにも書いていますが、この『被写体』という言葉。

運動会に行くと親御のみなさんはカメラやスマホをもってご自身の子供たちやご友人の子供たちを被写体にしてパシャパシャやっていますよね。

当然私もスマホで孫を撮りますよ。

もう滑稽ですね。

 

けど被写体になる子供たち、演技している子供たちは本当に被写体になりたいと思って演技しているんでしょうか?

 

運動会で演技している子供たちに聞いたわけでもなく、

その子供たちに統計を取ったわけでもありませんが、

被写体になりたいと思って演技している子供たちは一人もいないと思います。

 

カメラ越しじゃなく、観る人の目や観る人の感性で観てほしいと思っていると思います。

演技している姿をカメラに刻むんじゃなくて、観ている人の心に刻んでほしいと思っていると思います。

 

 

思い出。

被写体になった子供たち。

その子供たちが大きくなって、その写真や動画を見た時

『あぁー、そだねー、あんときこんなんやったなー。』と思うこともあるでしょう。

めでたし、めでたしですね。

 

けど、子供たちにとって運動会の思い出って本当にそうなんでしょうか?

 

苦しい練習も夏休み明けから何十回もして、やっとやっとやってきた運動会当日。 

今、必死に走った子供たち。

今、必死に演技した子供たち。

子供たちは自分がやってきたことを一生懸命に、死ぬほど一生懸命に表現するわけです。

 

それをカメラ越しに見て

カメラに収めて

カメラで撮った写真や動画を見て

自分の子供はよーやったやん!

 

って思っていませんか?

 

子供たちはそんなこと爪の先ほども望んでいないと思います。

 

演技が終わってすぐに子供と一緒にはなれないでしょう。

けど運動会が終わったら一緒になれます。

 

その時に、会って顔を見た瞬間に

『○○の事ずっと観てたよ。かっこよかったよ。今日はよく頑張ったね💓』

と言ってあげて、

抱きしめて(抱きしめ禁止なら頭なでなででもいいけどww)あげることが、

 

その一言が、その想いが、

子供にとっては本当の思い出になるんじゃないでしょうか?

 

ご自身もカメラ越しに観るんじゃなくて

ご自身の目で見て、ご自身の気持ちで観て

ご自身の思い出にもしましょうよ。

 

後で写真や動画を見て思い出すような思い出なんて

本当の思い出と言えるんでしょうか?

私は違うと思います。

 

写真や動画でしか思い出せない事なんて、

消えてなくなってもいいくらいのつまらん事なんです。

 

思い出とは、お互いの想いや気持ち、そしてそれを共有した時間だと思います。

 

そんな思い出を子供たちは望んでいると思います。

 

 

 

編集後記

年取ると言うことがウザくてイカンですね(笑)

 

けど(もう娘の運動会はないけど)自分は孫にとって、

そんなじーじでありたいと思います。