如何お過ごしですか? 3回連続10cmです。
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私が住む香川県と瀬戸内海を隔てた岡山県は瀬戸大橋で結ばれています。
ただし瀬戸大橋が完成したのは1988年(昭和63年)、今からほんの30年前なのです。
それまでは香川県と岡山県は、船(宇高航路)で行き来するしかありませんでした。
瀬戸大橋が開通した後もその航路は残っていたのですが、とうとう今年2019年12月15日に最終の運航を終えました。
宇高航路とは。
宇高航路(うたかこうろ)は、岡山県玉野市の宇野港と香川県高松市の高松港の間で運航されていた航路です。
宇野港の『宇』と高松港の『高』の一文字づつをとって『宇高』と名付けられました。
この航路が出来たのは1910年(明治43年)と今から109年も前です。
当時の宇高航路は国道の一部として国鉄により、宇野駅⇔高松駅の鉄道連絡船を運航していました。いわゆる宇高連絡船です。
戦後、国鉄以外の四国フェリーや津国汽船、国道フェリーなどの民間企業も参入して、宇高連絡船だけだった航路が民間航路を含む宇高航路として香川と岡山を繋ぐ海上の道となったのです。
1950年代の沈没事故。
上記のように、1910年(明治43年)に宇高連絡船が就航し現在に至るのですが、その歴史の中で紫雲丸という船が2回の沈没・死亡事故を起こしています。
1950年(昭和25年):貨物便として運航した紫雲丸が直島水道にて鷲羽丸と衝突し1度目の沈没。乗組員7人死亡。紫雲丸は引き揚げられ復帰。
1955年(昭和30年):濃霧の中、第三宇高丸と衝突して紫雲丸が沈没。修学旅行中の小学生を含む168人死亡(国鉄戦後五大事故の一つ)。
奇しくもこの1955年の紫雲丸の沈没事故をきっかけに瀬戸大橋の構想が具現化していったのです。
注)紫雲丸は上記2回の沈没事故の他に3回の接触・衝突事故を起こしています。詳しくは以下のURLを参照。
1991年、国鉄としての宇高連絡船廃止。
1988年(昭和63年):瀬戸大橋開通により列車での岡山⇔香川の移動が可能となり、連絡船を廃止(岡山⇔香川の高速艇は存続)。
1991年(平成3年):高速艇も廃止し、81年間の宇高連絡船【国鉄】の歴史に幕を閉じる(民間企業は存続)。瀬戸大橋開通からわずか3年目のこと。
民間企業で宇高航路を存続させるも力尽く。
その後も民間企業が航路を守るものの、
2009年の瀬戸大橋などの高速道路の休日1000円化が始まるとともに、津国汽船が撤退。
2012年には国道フェリーが撤退。
残る四国フェリー、香川県・岡山県が国に航路存続を要望したり、両県が補助金を出したりするも利用者は減っていく一方。
ついに力尽き、2019年12月運行を休止。
表現は悪いのですが、自ら招いた沈没事故をきっかけに瀬戸大橋の構想が具現化・実現し、そしてその瀬戸大橋の煽りを受けて撤退に追いやられた宇高航路。
安全第一ですが、皮肉なものです。
編集後記
1987年度のピーク時にはなんと約369万人もの人を運ぶ。
瀬戸大橋が開通した翌年度(1988年度)には約224万人。
撤退1年前の2018年度は約13万人だったそうです。
フェリーに乗ってボケーっと海見るの結構好きだったんだけどね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E9%AB%98%E8%88%AA%E8%B7%AF