如何お過ごしですか? 3回連続10cmです。
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注)この記事は2021年02月10日に投稿したものを、新記事として再投稿したものです。この記事結構使い回ししていますが、どうせ覚えてないでしょ(笑)
みなさま、巷はバレンタインデーで沸き返っていますね。
そのバレンタインデーとは無縁の私が、バレンタインデーを『私調べ』で紹介します。
昨年2019年のバレンタインデーに書いた記事も参照。
バレンタインって人の名前だったのよ。
wikiによると、こんなことを書いていました。
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。
当時、ローマでは、2月14日は女神・ユーノーの祝日だった。ユーノーはすべての神々の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと女たちは生活が別だった。祭りの前日、女たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の女は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われている。キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令した。しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされる。彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。
訳分からん文章なので、箇条書きにします。
①ローマ帝国時代、当時若い男女は生活が別々で1年に1回だけユーノーの祝日(2月14日)の次の日から同席出来る期間があった。
②その期間中に同席した二人がこれ見よがしに結婚する。
③怖い皇帝は戦いに結婚は必要ないってことで結婚禁止令を出す。
④キリスト教の司祭だったバレンタインが、それじゃあんまりだよね!ってことで秘密結婚をさせていた。
⑤それが皇帝の耳に入って、バレンタインにそんなことしちゃダメよ!と言う。
⑥バレンタインはシカト、皇帝が激怒してバレンタインを処刑した。
⑦処刑する日をわざわざユーノーの祝日(2月14日)にした。
⑧そんなこんなで2月14日が恋人たちの日になった。
まぁ、こんな感じで2月14日が恋人たちの愛の誓いの日(バレンタインデー)となったのね。
じゃ、なんでチョコレートなの?
日本では、1958年ごろから流行した。ただし、その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこのころであった。なお、バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、一説に大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニーの原邦生であるとされる。
しかし、原邦生が行ったとされるイベントは昭和33年であるのに対し、神戸のモロゾフ製菓が20年以上前の昭和11年2月12日に外国人向け英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』に、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を既に掲載しており、モロゾフ製菓がバレンタインチョコを最初に考案した仕掛け人であるとされる説が最有力である。
そして日本チョコレート・ココア協会によると、1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られており、その理由は、神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからとの事である。
箇条書きにすると、
①日本では1958年チョコレート会社のお方が、女子が男子にチョコレートでも渡して愛を告白したらええやん。チョコレートも売れるし!ってことで日本独自のイベントにしちゃったっぽい。
②いーやもっと前(1936年)に、お菓子屋が好きな人にチョコをあげんかい!って考案したんだよ。
③どっちでもええけど、1970年代後半からバレンタインデー=チョコレートという図式が出来上がってきた。
こんな感じなのよね。
ついでだから、ホワイトデー。
1970年代後半頃に、女子が男子に親愛の情を込めて本命チョコを贈るという「日本型バレンタインデー」が、日本の社会に定着すると、さらに日本独自の習慣が登場した。1980年前半に登場したホワイトデーと義理チョコである。ホワイトデーの起源については、福岡県の和菓子屋・石村萬盛堂のキャンペーンと、全国飴菓子工業協同組合の構想が注目されている。1977年に石村萬盛堂は、バレンタインデーの返礼としてマシュマロデーを開始した。これは社長が女性雑誌の投稿欄を見て思いついたものだという。1979年には他の菓子店と協同で「ホワイトデー」という名称を用いたとされる。
一方、全国飴菓子工業協同組合の主張によると、1978年6月の組合の総会で、「ホワイトデーキャンペーン」の実施が決定され、1980年に第1回「愛にこたえるホワイトデー」キャンペーンが行われたという。そして2回目の1981年には「好きな女の子にキャンデーを贈ろう」というキャッチフレーズが添えられた。1984年の第5回キャンペーンには各地で品不足になるほどの盛況となり、同組合では、この1984年をホワイトデー定着の年としている。
ついでのついでに箇条書きにすると、
①1970年代後半に日本に定着した好きな人にチョコレートをあげようという方程式。
②お前なー、チョコレートだけ売れるの気に入らん!
③ってことでチョコレートの見返りとして『マシュマロ』返しという図式が浮上。
④とうとう1984年にホワイトデーなるものが制定された。
⑤ホワイトデー=マシュマロという方程式の完成。
便乗商売と言っても過言じゃないよね。
編集後記
バレンタインデー=チョコレート、ホワイトデー=マシュマロという方程式の成り立ちはいかがでしたか?
いやー、淡いですねー。
いいですねーチョコレート。
っていうか、もうマシュマロって死語か?
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