今週のお題「復活してほしいもの」
如何お過ごしですか? 3回連続10cmです。
当ブログにお越しいただきありがとうございます。
いつも本当にありがとうございます。
今週のお題は「復活してほしいもの」です。
ただし高松限定ネタですので、高松以外の方にはちょっと分からないかもわかりませんが、ひとつよろしく。
三宅ラーメン。
復活してほしいラーメンは『三宅ラーメン』というラーメンの屋台です。
私は『三宅病院の前のラーメン』と呼んでしました。
もちろん今は屋台はありませんが、場所はここ。
こんなロケーション(写真は現在のストビュー)。
写真赤○の辺りに屋台はありました。
右の建物が三宅病院、左の建物は高松病院。
屋台は三宅病院の前の道を挟んで、高松病院側(どっちかというと高松病院の前)にある。
なのになぜか『三宅ラーメン』『三宅病院の前のラーメン』。
ウケるww
この屋台、屋号はないらしい。
そのラーメン。
https://ameblo.jp/scopsxxxowl/entry-12531836861.html
画像をお借りしました。ありがとうございます。
こんな感じ。
私も一人で行ったり、ツレと行ったり、会社の若いし連れて行ったり、何度も食いに行った。
私がこのおっさんとする会話は『おっさん ラーメン○つ くれ。』。
おっさんは淡々とラーメンを作ってくれて、私はさっと食って、さっと金払って、さっと帰る。
これが男たちの美学。
20年前?いや30年前?ちょっと忘れたけど、1回だけ私が『ここいつからしょん?』と聞いたことがあって、おっさんは『昭和34年から屋台引っきょって、夜中は町(=飲み屋街)まで引いて行っきょんじゃ。』と答えてくれたことがある。わしと同い年やんと思った事を覚えている。
ラーメンは絶品!少なくとも高松ではこのおっさんのラーメンが一番美味いと思う。←個人的意見。
ただし、コショウがぎょうさんかかっとって、コショウの味がまあまあするww
当時たしか400円くらいだったと思う。
そのおっさん。
【新聞に「三宅ラーメン」のおじいちゃんが載っていました】という2011年11月11日付けの記事がありました。
引用させていただきます。
山田信之 86歳
さすが新聞、みんなが呼んでいる屋号は書いていない。南満州鉄道に就職して、その後徴兵。
ソ連国境で終戦を迎え、ソ連軍に捕虜としてシベリアに送られた。
氷点下45度の世界で、手のひら大のパン1枚と具がわずかに浮かぶスープだけで毎日毎日農作業と森林伐採に駆り出された。
祖国の土を踏んだのは同じ班10名のうち自分だけだった…。70歳の時に仕事中に脳内出血で倒れているそうです。
80歳を過ぎてからは体調を考えて午後8時でしまっている。
したがって営業時間は午後4時から8時まで。ネットでも、よく、ここの屋台は無くなったのかと聞かれるがことがありましたが、年取ったので、屋台をしまうのが異常に早くなっている。
新聞にはもっと色々とこれまでの人生が紹介されていました。
シベリア抑留体験をバネに……。
https://hazimemashite.at.webry.info/201111/article_6.html
実は復活しているらしい。
喫茶アンという店で、おっさんの味を引き継いで食わせているらしい。
一応参考までにぺたぺた貼っておきます。
編集後記
「復活してほしいもの」:『三宅病院の前のラーメン屋』はいかがでしたか?
楽しんでいただけましたでしょうか?
お題通り「復活してほしいもの」です。
三宅病院の前の屋台で、あのおっさんが作ってくれて、あのおっさんを見ながら食べるラーメンじゃないと『三宅病院の前のラーメン』とは言えない気がして、屋台が無くなってから後に復活したことは存じ上げておりましたが一度も行っていません。
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