如何お過ごしですか? 3回連続10cmです。
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先日、日本語の乱れはだめだよねー。
おっさんには嘆かわしいという記事を書きました。
具体的には
〇〇になります。
〇〇でよろしかったでしょうか?
百万円からお預かりします。
こんな言葉大きらいと言う旨です。
そこまで言うなら『ら抜き言葉』はどうなのよ?
邪道にもほどがあるんじゃねーの?
って話です。
『ら抜き言葉』とは。
『ら抜き言葉』とは、動詞に連結する『可能』の意味として使われる助動詞『られる』から『ら』を省略して使う表現。
だそうです。
一例を挙げると
見られる→見れる
食べられる→食べれる
起きられる→起きれる
決められる→決めれる
こうやって書いていても、私には拒否反応が起こっています。
ストレスが貯まりますね。
ちなみにこの『ら抜き言葉』は、昭和初期から使われ始め、戦後更に増加したそうです。
私としては、つい最近のポッと出かと思っていました。
『ら抜き言葉』にも意味があった。
まず『見られる』のような『ら抜き言葉でない言葉』は、
『られる』の意味を可能・受け身・尊敬のいずれかで使われていることを文脈から解釈しなければならないというややこしさがあります。
つまり、言うた者と聞いた者の間で意味の取り違いが発生する可能性があるということです。
それに対して『見れる』のような『ら抜き言葉』は可能オンリーの意味で使われるのでシンプル。
つまり、言うた者と聞いた者の間で意味の取り違いはないということでしょう。
使用例と解説。
https://twitter.com/abeshinzo/status/541215409744007168?lang=zh-Hant
『ら抜き言葉でない言葉』:
『安倍君はうどんを食べられる』。
つまり、安倍君はうどんを食べることができる(小麦粉アレルギーじゃなくてよかたね)という意味と、食事としてうどんを食う安倍君に敬意を表した尊敬的意味の食べられる、の二通りの解釈があるということです。
『ら抜き言葉』:
『安倍君はうどんを食べれる』。
これは安倍君はうどんを食べることができる(小麦粉アレルギーじゃなくて\(^o^)/)という意味の一択です。
『ら抜き言葉でない言葉』と『ら抜き言葉』にはこんな違いがあるんですね。
編集後記
ってことで、『ら抜き言葉』にもなにかしら意味がありそうなので無下に否定するのはよくないと思っています。
が、私は使いませんけどね。
言葉に複数の意味・解釈があってもその場にいたらだいたい分かるでしょ。
それも日本語のいいとこというか、日本人としての身だしなみじゃねーの?
と思います。
って言いながら解釈違いで大きなスカする時もあるけどねw
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