如何お過ごしですか? 3回連続10cmです。
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埼玉県に告ぐシリーズ。号外。
いつもうどん、うどんとほざいていますが絶対に外せない、絶対にお伝えしておかなければならない事があります。
香川県民である私のうどん人生の根底にあるうどんを紹介しようと思います。
号外まで出して、またおまえのややこしいうどんネタかよ!
はい、なんせ露出趣味がありますもんで。
盆正月のお客の時のうどん。
その昔、今から半世紀以上前だ。
盆正月には母の実家に遊びに行く風習があった。
父母と私・弟で出向いていた。
母は兄妹が多く、盆正月には、祖父母・叔父叔母・いとこ連中が入れ替わり立ち代わりのべ20人以上集まっていたと思う。
行くと必ず小遣いをくれて、駄菓子屋でお菓子を買ったり、文房具屋でプラモデルを買ったりした。
自宅付近には駄菓子屋も文房具屋もないので、すごくわくわくしたことを覚えている。
夜は大人は酒を飲む。子供はみんなでわいわい言いながらご飯を食べる。
こういう状態を『お客』と言った。
台所にはせいろを何段も重ねてある。うどんだ。
いりこで取った出汁も作ってくれている。
おまけにねぎやかまぼこも乗せてくれる。
今思うと、何のことはない普通のかけうどんだ。
おかずは揚げ物(香川では一般に言う天ぷらを揚げ物という地域がある)だ。
もちろん海老などあろうはずもない。れんこんや茄子など野菜類だ。
衣も黄色だ。豪華に見せるために色粉を入れていたらしいが、そんなことを知る由もない。
この状況下で食べるうどんや揚げ物は、ただただ美味しいとしか感じなかった。
何もなく貧乏のどん底だった(らしい)当時、うどんや揚げ物は本当にご馳走だった。
母の実家に行くのが本当に楽しみだった。
その風習もいつの頃からか時代の移り変わりとともに自然に消滅した。
幻のうどん『坂本』。
後に知ったのだが、母の実家で食べたうどんは『坂本』という店のうどんだった。
店舗ではなく製麺所=うどんの玉卸し。坂本で作ったうどんを食堂や地元の食料品店へせいろで卸す。
坂本のうどんを食べたいなら食堂か食料品店へ買いに行く。
あるいは坂本へ直接行ってせいろごと買う。
釜から上げて何時間たっているか全くわからない。
そんなことはどうでもいいことだ。
大事なのは坂本のうどんでなくてはならないということだ。
自宅でうどんを食べる時も最寄りの食料品店で坂本のうどん玉を買っていた。
母が出汁を作ってくれるが、味はお客の時と同じだ。母の母の味だ。
たまらなく美味しかった。
そんな坂本のうどんは、私のうどんの根底だった。
もう少し正確に言うと、坂本のうどんを食べるという事は玉を買って来て各家庭で出汁を作るという事である。
すなわち、玉は同じであるが、うどんというトータルパーッケージに関しては各家庭分の味があるということになる。
つまり、坂本のうどん玉に母の母が作った出汁をかけたうどんが私のうどんの根底なのである。
大人になってからもそのうどんは食べ続けた。
坂本は平成途中まで営業していたが、ある日閉店した。
後継者がおらず閉店せざるを得なくなったらしい。
それを聞いた私の心の中を、何とも表現し難い風が吹いた。
もうあのうどんを食べることはできないんだ。
『坂本のうどん』は私のうどんの根底を作るだけ作って、知らぬ間にふっといなくなった。
悲しいか?
いや、悲しくない。
幻だったのか?
いや、幻なんかじゃない。
坂本のうどんは永遠に私の心の中に存在する。
その坂本、現在は製麺所の面影はなくシャッターを下ろした倉庫が残っているだけだ。
ここでうどんを作っていたことを知る人は、もうそう多くはないだろう。
山もりうどん。
最近私は山もりうどんへ通っている。
あの時に食べた坂本のうどんに似ているという
たったそれだけの理由で。
このことは誰も知らない。
編集後記
私のうどん人生の根底にあるうどん、いかがでしたか?
いかがもクソもねーよ!
ですよねー。
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